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私が教える、私のこと。

2022.04.22

みなさんこんにちは。
さこだ歯科の岩元です。

初回の投稿が昨年の7月でしたので、久々の投稿です。
スタッフの方々が日々投稿をしてくださるブログのチェックをする担当をしていまして、自身のブログ執筆を免除されていました。
ほぼ一年ぶりの投稿ですから、これまで書いていなかった分を含め、たくさん書きたいと思います。

おそらくかなりの長編になりそうなので、時間があるときに読んでいただけると嬉しいです。

目次

 

まずは自己紹介

私は1982年に鹿児島市に生まれ、今年40歳を迎えます。
決して仲が良いとはいえない姉、自由奔放な妹に挟まれた一男二女の姉弟です。

世の中の兄弟を見ていると、2番目以降はとても世渡り上手だなと感じませんか?
私もご多分に漏れることなく、事あるごとに親とモメている姉をみて育ちました。

「アレをしたら怒られる」
「こうしたら褒められる」

そういった「要領の良さ」がいつの間にか身についていました。
妹も世渡り上手な性格をしているので、おそらく私と同じ意見だと思います。

逆に考えれば茨の道を歩き続けた姉は、へこたれずによく戦い続けたもんだと感心します。

 

大輔少年、生命の神秘・進化の過程を知る

後転を覚え調子に乗っていた大輔少年(3歳)。
友人宅のガラスを割り、後頭部にガラスの破片が刺さる、迷惑この上ない事件を起こします。

その後、何かが私の中で目醒めました。

まず近所の田んぼからカエルの卵をバケツに入れて持ち帰りました。
それはもう引くほど大量に。

そして自宅で孵化を試みます。

後ろ足が生え、
前足が生え、
尻尾がなくなり、
水から飛び出す。

生命の神秘、進化の過程を目の当たりにした瞬間でした。
不思議なことにオタマジャクシから大人になった(?)カエルは、いつの間にか家から姿を消していました。

「だいちゃん、すげー!」

突然、「長方形を構成する2辺の和より、対角線の方が短い」という三角形の本質に気づきます。

そして忘れもしない夏の雨の日。

「目の前にある田んぼを斜め突っ切ろう。そっちの方が近道なんだ。」
大輔少年はそう言って、一緒に登園していた友人を唆します。

友人も早く着けるなら。と承諾し、いざ田んぼへ踏み込みます。
いつもと違う景色。
そして田んぼの中央あたりまで辿り着きます。
倍とまではいかないけど、いつもより格段に早いペース。
友人も「だいちゃん、すげー!」と喜んでいます。

進む足取りも軽やか

・・・とはいかず、真ん中あたりで仲良くスタック。

足が沈む前にどうして次の一歩を踏み出せなかったのか。
悔やまれる事件でした。

そんな自然に囲まれながら過ごした幼少期でした。

「僕もやりたい!!」

小学生となった大輔少年。
姉や妹がピアノを習い始めたので、「僕もやりたい!!」と母に懇願しました。
かっこいいじゃないですか、ピアノが弾けるって。

母は私にこう言いました。

「あんたは男だからいいの」

この時にピアノを習っていたのなら、世界的なピアニストになっていた(かもしれない)のに!

小学校の中学年ごろになると、徐々に友人たちがスポーツ少年団などに入り始めました。
もちろん大輔少年も同じです。

当時の友人が剣道をしていたので、「僕もやりたい!!」と母に懇願しました。

そう、剣道。
Yes、日本の心。

龍槌閃、龍翔閃、九頭龍閃、天翔龍閃、牙突。
アニメが違えばアバンストラッシュ、ブラッディースクライドにギガブレイク。

当時の男の子は自分の傘を心の力で剣に変え、技の鍛錬に勤しんでいたものです。

過去にNoを突きつけられたピアノとは違い、武道なれば母上もきっと許してくれるはず。
Yes以外の答えが返ってくるはずがない。

そんな期待に溢れている私に対し、母は私にこう言いました。

「防具とか高いからダメ」

この時に剣道を始めていたのなら、バンダナに腹巻姿の三刀流の剣士として世界に名を轟かせていた(かもしれない)のに!

剣道の道が絶たれた結果、なぜかバドミントンを始めます。
仕方無しに始めたもののやってみると楽しいもので、なんのかんので20歳頃まで続けていました。
小学生からやっているとそれなりに上手くもなるもので、九州大会などへ出れる程度にまで成長しました。

事実は小説よりも奇なり

中学に上がるとバドミントンも続けつつ、2年生から駅伝を始めます。
始めたといっても部活に所属したわけではなく、校内の体力診断テストをベースに集められた脳筋同好会です。
陸上部もいればサッカー部、バスケ部、バレー部などもいて、良く言えば連合軍、悪く言えば寄集めの急造チーム。

今でも不思議に思っているのが、この寄せ集めチームがなぜか上手く噛み合ったことです。
1年目で県大会出場、2年目は県上位に入るレベルのチームになりました。
その翌年、後輩たちのチームは創部3年目にして全国大会出場するという偉業を成し遂げています。

正にホップ、すてっぷ、ジャーンプの成長でした。

「高専でなければ学ぶことができない事がある」

進路選択で高専という物珍しい学校を選びました。

「高専でなければ学ぶことができない事がある」

そんなカッコいい理由で進学したわけではなく、公立高校の受験よりも早いタイミングで合格発表があり、入学さえできれば「大学受験もせずに大手企業へ就職ができるなんて、なんて素晴らしい学校なんだ」という薄い理由からの受験でした。

一般の高校と違い、高専は卒業まで最短で5年間のカリキュラムで構成されています。
16歳〜20歳までの多感なお年頃、いわゆる青春時代にクラス替えもなく、5年間を毎日を同じ顔ぶれで過ごしたので、ただの同級生という言葉では括ることができない、一生涯の友人、ソウルメイトといえるほどの絆ができたと思います。

卒業後の進路も様々でした。

大学へ進学した者。
高専の専攻科と呼ばれる課程に進学した者。
全国屈指の大手企業に勤めている者。
独立した者。
稼業を継いだ者。
母校に戻り教育者になった者。

卒業から今年で20年になりますが、毎年集まって食事や飲み会での近況を聞くことが楽しみでした。残念ながらここ数年はコロナの影響があり、集まることも減ってしまいました。ただ各々が社会で大きな責任を担う年代になり、大人な判断をできるようになったのだと思えば、これもまた一つの成長なのかと感じています。

私史上、最大の一歩

そして高専を卒業をしたのは2003年。

・アテネオリンピック開催
・九州新幹線が鹿児島 – 新八代間での部分開業
・アメリカ産牛のBSE問題で吉野家から牛丼が販売停止
・いかりや長介さんのご逝去

そんな激動の年、鹿児島の地場企業でSEとして働きはじめました。
SEなんてまったく無知の世界。
これから始まる新しい世界に向けて踏み出した第一歩は、まさに期待と不安に満ちた小さくも大きな一歩でした。

その一歩は宇宙飛行士のニール・アームストロング船長が人類史上初、月に踏み出した最初の一歩と変わらない、正に歴史的なものにすら思えていました。

このブログを読まれた皆さんも、そして今年入社した新入社員もきっと同じ気持ちだったと思います。
もちろんこれから就職をしていく方々も、きっと同じ気持ちになることでしょう。

新人研修を終え、配属先についてすぐ私に与えられた業務は「既に稼働していたシステムをリニューアルする」というものでした。
リニューアルとはいえそれほど大きなシステムではなかったので、入社したてでもなんとかなると考えられたのでしょう。

ところで、みなさんデータベースって聞いたことありますか?

Oracle、SQLserver、PostgreSQLなど様々な種類があり、もしかしたらPCにAccessが入っている方もいるかも知れません。
今は個人でスマホアプリを作れる世の中ですから、だいぶ市民権を得た言葉になったという印象です。

データベースというものがわからない方は、単純にExcelのイメージで概ね問題ないと思います。
システムに必要なデータを取り出したり、加工したりするために、Excelでいう”セル”にデータを記録していくイメージです。

データベースの詳しい説明は割愛しますが、私が初めて触れたデータベースは「桐」というものでした。
私もこのデータベースに触れたのはこの1度限りだったので詳細は分からないままですが、思い描いていたデータベース(OracleやSQLserver)とは一線を画するものであり、約20年たった今でも衝撃的だったことを覚えています。
しかもこのデータベース、なんと今もなお製品として販売されているようです。
今更ではありますが、きちんと使ってみたいところです。

初仕事の開発環境はWindows XP + VB.net + MS Access2000という構成に決まりました。
小規模システムのリニューアルでしたのでOracleなどの大規模データベースではなく、MS Access2000で十分と判断されたのです。

このときにプログラムやSQLの記述だけでなく、PCの操作やネットワークの基本的な知識・技能を覚えました。
キーボードを見ずにタイピングができるようになったのもこの頃でした。

その当時の上司(今ではその会社の社長に就任された方)から「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」と教えられ、それはもう無我夢中で取り組みました。
結果として体調を崩し入院することとなり、実質1年少々で退職を決断することになりました。
今思えば辛く、苦しいものでした。
ですがその中で身に付けた知識は今でも十分に通用するものですし、苦労した分、血となり肉となっている実感があります。

名は体をあらわす。そして体は心をあらわす。

半年ほどの休養を経て、再就職をしました。
全国に拠点を構える防犯カメラなどのセキュリティ商品や、クレジットカードなどの磁気カードに関わる機器を販売・保守メンテナンスを行う商社です。

前職での技能も活用できる上に、新しい技術も習得できる!
「この企業に骨を埋めるつもりで、心機一転がんばるぞ!」と思ったものです。

技術職として客先にある機器の保守・メンテナンスが私の業務でした。
その場で解決・復旧させなければならないプレッシャーもあり、この時にあの手この手を使って対処する術を身に着けました。

まさに臨機応変。
トラブルの対処はお手の物です。

今でこそ無用の長物となりましたが、電気工事士などの資格もこの時に取りました。

入社から12年、33歳にして人生を大きく変える転機が訪れます。
当時の支店長が定年を迎え退職されるにあたり、後任の支店長として私に白羽の矢が立ちました。
とはいえその頃は全社的に若い支店長が任命されている時期でしたので、決して私の能力が評価された結果ではなく、企業の世代交代を図るために必要な、いわゆる経営判断によるものだったと思っています。

支店長。
それはそれは大変な重責でした。

500人を超える企業のなかで、その職に就く社員はもちろん僅かな人数です。
私以外の支店長は生え抜きの営業職で、若くして抜群の実績を作り上げ、その地位に至るべくして成った方々です。
その中において技術職上がりの私は、限りなく異端に見えたことでしょう。

人と接する機会が増えることは決定していましたので、第一印象が大事と考えて、まずは身なりを整えることにしました。

その第一歩はスーツでした。
既成のスーツをやめ、自分の身体に合うサイズに作ることにしました。
自分の体に合うといってもジャストサイズではなく、わずかにタイトにしています。
そうすることで程よく身も心も引き締められ、背筋を伸ばす意識を保つことができています。

さこだ歯科に務めるようになった今でも、スーツは必ずそのお店で作っていただいています。
オーダーとなると高いイメージがありますが、生地や仕立て次第ではいわゆる「吊るし」とさほど変わらない価格です。
スーツを新調される際は、一度検討されてみると良いと思います。
お店もご紹介しますよ!

代謝の落ちる年齢になり、サイズも少しずつキツさが増していますが、みんなにバレないよう一生懸命お腹を引っ込め、ジレを着て誤魔化しています。

そして髪型もおでこを出すスタイルに変えました。

今のスタイルになったのはこの頃で間違いないでしょう。

それからはそれまで門外漢であった営業職も行いました。
もともと人と話すのは好きでしたので特に苦を感じることはなく、どちらかというとマネージメントや運営に関することのほうが辛かったと感じてたと思います。

足りない部分を補うために。
他の支店に見劣りしないように。
社員が不自由なく仕事ができるように。
実績は部下のもの、責任や失敗は私のもの。

そう自分に言い聞かせ、ただひたすらに仕事と向き合いました。

これは私に限ったことではなく、世のお父さん方もきっと同じ思いであるはずです。
皆さん、お父さんには優しくしてあげてください。

諸事情がありこの企業を退職を決意することとなりましたが、約5年間にわたる鹿児島支店長としての経験は決して無駄ではなく、これも今のさこだ歯科の業務に通じるものがあると思っています。

さこだ歯科での私の仕事

永らくお待たせしました。
いよいよ、そんな私のさこだ歯科での業務に関するお話です。

さこだ歯科への入社は2021年1月でしたので、まだまだ新入社員と変わらぬ駆け出しです。
入社の経緯は諸事情ありますが、さこだ歯科で歯科衛生士をしている姉の紹介によるものです。
前職の頃からさこだ歯科とは取引関係にあり、その頃から理事長や伊黒さんとの面識がありましたので、割とすんなり入社したと記憶しています。

医院の中で私の行なっている業務ですが、もしかすると職員の方々ですら「あの人は何をしている人なの?」と思っているかもしれません。
簡単に列記しますと、

  1. 入退社・求人などに関する総務関連業務
  2. HPや院内ネットワークなど情報システム業務
  3. 院内の用具や設備の障害、メンテ業務
  4. 医院の運営にご協力を頂いている企業の方々との打ち合わせや折衝など
  5. 院内で使用しているデザインの一部や動画に関するメディア業務

これら以外にも細々した業務がいくつかありますが、基本は以上です。
というか大半は2と3です。

個人的には現在の業務を「普通が普通であるための仕事」、あるいは「”普通”をより高いレベルにする仕事」だと捉え、日々の業務を行っています。

さらっとしているようで、でもしっかりとしている。
Theスマート。

あらゆる業界でデジタル化が進む現代で、情報機器や電子機器の取り扱いに長けた人間が1人でも多く在籍していることは企業の安定につながると私は思っていますので、セキュリティに関わる内容以外で共有するべき知識は極力オープンにするよう心掛けています。

今も私が不在の際にフォローをしてくれる同僚がいるからこそ、互いの休日を確保する事ができ、日々の診療への影響を少なくすることにつながっています。
彼らには心から感謝しています。

趣味の話① 音楽

趣味はわりと沢山あります。
まずは就職してすぐ、楽器を買いました。

そうです、母にNoを突きつけられ、ピアノの夢を絶たれたあの日から約15年。
それはそれは壮大なリバウンドとして現れました。

中学・高校のころ、世は空前絶後のヴィジュアル系バンドの大流行。
GACKTのいたMALICE MIZERをはじめ、その他にもいっぱいいました。

私が憧れたのは、流行りから外れた毛色の異なる音楽でした。

色彩のブルース
くちばしにチェリー
かつて。
go action
足長のサルヴァドール

そう、EGO-WRAPPIN’です。
ジャズのような、キャバレーのような、例えるなら”煙の似合う”音楽でした。
何より心地よいサックスの音色に魅了されてしまいました。

幼心を拗らせまくった大輔青年、まずは少し小さめから始めようアルトを購入します。
その後数年でにテナーを買い、挙句の果てにはソプラノまで買ってしまい、結局合計3本持っています。

独学で始めた音楽でしたが、20代の後半頃までとても楽しく続けていました。
結婚後に音楽から離れてしまい、子供も生まれてしまった事もあって今は自分の部屋の奥にの方にしまっています。

サックスを買ってからは加速度的に音楽への熱に拍車が掛かり、往年のジャズやクラブジャズ、ファンクなどの謂わゆるインスト中心に聴き漁りました。
John Coltrane
King Curtis
Cannonball Adderley
Hank Mobley
santana
Steve Stevens
LETTUCE
speedometer
Soulive
rega
JABBERLOOP
bohemianvoodoo
TRI4TH
Jazztronik
Quasimode
toconoma
h zettorio
fox capture plan
indigo jam unit
jizue
piano jack
pe’z
soil & pimp sessions

それはもう挙げればきりがないほどに、様々なバンドやアーティストのCDを買い漁っていました。

趣味の話② 釣り

子供が4歳になった頃、家族で吹上浜へキス釣りに行きました。
ビギナーズラックとも言えるほどに沢山釣れ、その後は家族揃って毎週釣りに行くレベルでのめり込みました。
回数を重ねるに連れ、道具も装備もどんどん増えます。
ロッド、リール、ライン、ルアー、ライフジャケット。

なんなら車を買い換える際の第一条件が「釣り道具が運べること」でした。

釣り場も最初は堤防から始まり、サーフ、そして船。

アジ、キス、サバ、イワシ、タイ、アラカブ、キジハタ、オオモンハタ、スズキ、マゴチ、ヒラメ、ブリ、カンパチ、タチウオ。

イカはまだ狙って連れていないので、今年はエギングしたいですね!

好きが嵩じて、魚も捌けるようになりました。
捌き方を学びたい方は、まず釣りを始めると良いと思います。

趣味の話③ ゴルフ

ゴルフは前職で支店長になってから始めました。
スコアは100を切るか切らないかレベルで、これから90台、80台を目指そうとしていた頃にコロナが始まりましたのでラウンドは全く行かなくなりました。
練習こそ続けていましたが、やっぱりコースに出たいですね。

ごく最近になって、さこだ歯科のドクター数名と一緒に練習へ行く機会がありました。
まだ始めたばかりらしいですがまだまだみんな若いので、飛距離はあっという間に抜かれることでしょう。
他にも何人かゴルフを始めた職員がいるようですので、今年のうちに「さこだカップ」が開催できるかもと期待しています。

趣味の話④ コーヒー

朝起きてコーヒー
出勤前にコーヒー
お昼ごはんにコーヒー
仕事のお供にコーヒー
夜ふかしのお供にコーヒー

もういっそのこと私の血管にはコーヒーが流れているんじゃないかと疑うレベルで、本当にコーヒーを良く飲みます。
時間がないときこそインスタントですが、ゆっくりできる時間があるときは豆を挽いて飲んでいます。
コーヒー、これまた奥が深いというか、俗に言う「沼」です。
種類、ロースト、挽き方、抽出方法などなど、拘りだせばきりがないです。
まだ深く沼にハマってはいませんが、コーヒーが好きな方はお声掛けくださいね。
そしておすすめの豆があればぜひ教えて下さい。

 

便利な道具 = 多機能?

趣味の事について書いていて気づきましたが、4つ挙げた趣味はどれも道具を扱うものばかりでしたね。
こと、道具へのこだわりはだいぶ強いと自負があります。
※ここでの「道具」は、いわゆる「ハンドツール」と解釈してください。

皆さんは道具を買う時に、何を基準で選んでいますか?

見た目ですか?
機能性ですか?
仕上がり?
所有欲?

もちろん人それぞれ、理由はいろいろあるでしょう。

私の道具選びの基準はできるだけ「流行り廃りの少ないもの」ですので、あまり奇抜なものは選ばないことが多いです。

流行り廃りを選ばない理由はとても単純で、買い替えを頻繁にしたくないという理由です。
トラディッショナルであるからこそ、多少古くても長い期間で使うことができます。

きっと「”安物買いの銭失い”はいやだ」、なんてケチな思いが強いのだと思います。

私が思う「便利な道具」というのは「多機能」ではなく、「いつでも使える」ということなんでしょうね。

奇を衒うようなデザインが決して嫌いなわけではありませんが、時間経過によって流行りのピークを過ぎてしまい、結果として私が使用を躊躇うことになってしまっては本懐を遂げられない道具に対して申し訳ない気持ちになってしまいます。

「いつでも使える」、そして「いつまでも使える」

時間という不確定要素にできるだけ左右されないように。
機能もデザインもシンプルなものが好きですね。

ここまで書いておいてアレですが、住宅事情に左右される家電なんかは例外です。
よりコンパクトで、より多機能であることが重要ですね。

「患者様へ寄り添う」

時代が多様化へ向けて加速しており、今はそれに順応できるか否かを求められる段階にあります。
順応できる企業のみが生き残ると言っても過言ではないのかもしれません。
多様化するニーズにすべからく対応すること、それは業種の別なく非常に難しい問題です。

多様化。

言葉にするとたった3文字ですが、この言葉に含まれる定義は果てしなく膨大なものがあります。
生活様式、就業形態、産業構造、ジェンダーなどなど、例を挙げればきりがないほどです。

さこだ歯科には歯科医師や歯科衛生士などの歯科医院に必須の職種はもちろん、放射線技師や保育士など、これまでの歯科医院とはおおよそ無関係と思われる職種のスタッフが在籍しています。コールセンターもその一つです。

これは患者様の多様性を尊重し、そして患者様から支持していただける医院となるための組織体制であると信じています。
時に不十分なこと、行き届かないことなどあるかと思います。
その際はご遠慮無く、直接お声をいただけると幸いです。

どうぞ、よろしくお願い致します。

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